お葬式には歴史があります。現代の火葬に至るまでの時代背景を説明します。

お葬式の歴史

お葬式の歴史は命の歴史だと言っても良いでしょう。
遥か昔から命の扱い方、身分制度、宗教観によって葬儀の様式は移り変わって来ました。
それこそ縄文時代にも葬儀があったのです。
誰もが知るエジプトのピラミッドも葬儀を行った後の結果と言えます。

 

だからこそ、葬儀の歴史を知ることは命の歴史を紐解くことになるのです。
縄文時代から現代まで、人々はどのように死者を弔っていたのか見てみましょう。

 

屈葬を行う縄文時代

屈葬が行われた縄文時代

縄文時代には身体を折り曲げた状態で埋葬される屈葬という葬儀が行われていました。
遺跡などではしばしば、膝を抱えるように埋葬されたミイラが見つかっています。

 

屈葬の理由にはいくつかの推測があり、墓穴を掘るスペースが小さくて済むようにしたと言われています。
しかし、死後の世界での安らぎのために赤ちゃんと同じ体勢にしたという説もあります。
さらに、それとは正反対に死者の魂が現世を彷徨わないよう屈葬した説もあるため、現在も謎に包まれているのです。

 

古墳を作る時代

特権階級が盛大に葬られた古墳時代

古墳時代から飛鳥時代にかけては前方後円墳が作られるようになりました。
特権階級の豪族1人を埋葬するために巨大な古墳が作られるのは、その時代の価値観や宗教を体現したものでしょう。

 

古墳には棺の他にも宝飾品や調度品、豪華な剣や盾が一緒に埋葬されています。
こうした手厚い葬儀を厚葬と呼び、非常に丁寧に埋葬され多くの人に見送られたのです。
この頃は死者の復活を願う文化や宗教感があり、故人の遺体は出来る限りの防腐処理等がされていました。
いつか魂が戻って来て復活すると願われていた証拠でしょう。

 

薄葬令が出された大化改新

薄葬令が出された飛鳥時代

飛鳥時代の646年に薄葬令が出されて葬儀の価値観が大きく変化しました。
薄葬令を簡単に言うと、偉い人のために古墳を作るのは民衆に大きな負担を掛けるから止めよう、という内容です。

 

これにより、故人の身分に合わせてお墓の規模の上限を定めるようにしました。
身分の低い一般的な平民は特定の場所、今で言う墓地に埋葬するようになったのもこの頃からです。
過度な宝飾品等を埋葬することも薄葬令で禁止されたので、変わりに故人の好きな食べ物や花を添えるようになったのです。

 

浄土真宗に広まりにより火葬が一般化

火葬が普及した鎌倉時代

鎌倉時代に入ると土葬の文化から火葬の文化へと変化し始めます。
浄土宗や浄土真宗の仏教が広まり、平民も火葬を行うようになって来たのです。
とは言え、当時の火葬技術はまだまだの状態のため、土葬と火葬の割合は半々程度だと言われています。

 

ちなみに、仏教の教えにより死後の世界についての話も浸透しました。
死生観が知られるようになった結果、お葬式を大切に扱う文化が根強くなったとも考えられます。

 

そして時は流れ、明治3年になると法律により神主や僧侶が葬儀を行う取り決めとなり、葬儀を依頼する形が生まれました。
大正時代になると霊柩車などが一般的になり、現代の葬儀に近い形が誕生したのです。